100人のライフワーク

文学作品翻訳コンクールへの挑戦がライフワーク

長井英子さんアイキャッチ
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早く大きくなりたいな。そうすれば学校に行く必要がなくなって、大嫌いな体育や運動会に悩まされずに済む。第一、テストも宿題もないのだからどんなに楽だろう。ああ、速く時間が過ぎてほしい。
小学校低学年の頃、切実にこう願ったものだ。昨日のことのようにはっきり覚えている。大学に進学するなど当時は想像もできなかった。

あれから60余年になる。学校から宿題を出されなくなって久しいが、私は長年にわたり自分自身にライフワークとしての課題を与えている。それは先ずこれまでに学んだ外国語を忘れないための学習の持続である。つまり参考書類を読み、ラジオの語学講座で古い辞書では対処できない新しい単語を覚える。その上で身の程知らずと知りつつ、年に一度の和文(文学作品)翻訳コンクールに挑戦することである。

コンクールには当然ながら高度の語学力が求められるので、私など到底力が及ぶはずがない。留学の機会がなかったことも大きなマイナス要因となっている。何年か前の独訳コンクールの際には、下書きをドイツ人にチェックしてもらったし、大学で長年にわたってドイツ語の非常勤講師をしているのだからといささかの自信もあった。ところが入賞者は外国人ばかりだった。

何度も失敗しているにもかかわらず、毎年コンクールの課題が発表されると同時に、私は挑戦の準備に取り掛かる。他人が見たらよく懲りないものだ、物好きなと呆れるだろうが、すでに退職した私にとってこのライフワークは、単調に陥りがちな生活の刺激剤の役目を果たしている。

はじめて日本語の文学作品の英訳を試みたのは高校に入った年だった。たまたま痛快な娯楽小説を見つけ、夢中で読んだのがきっかけである。古い作品だが国際色豊かで、秘宝をめぐる戦いがテーマだった。ヒーローの青年は日本人の父親と外国人(確か南米人)の母親を持ち、彼の恋人である美少女も父親が中国人で母親が日本人だ。話の舞台も専ら海外だったように記憶する。
このような作品全体が日本語で書かれているのは不自然ではないか。英語に直せば物語がもっと現実味を帯びるのに。こう感じたのが発端だった。まだろくに英語を知らない私が分不相応にも英訳を始めたのである。

最初から全くお話にならなかった。物語は航海中の外国船内の一室で粗野な船員たちが賭け事に興じる場面から始まる。彼らは同僚であるヒーローに仲間に入れと声をかけるが断られ、「生意気な若造めが」と乱暴しようとして逆に柔道の技で見事に投げ飛ばされる。実に胸のすくこの部分を現在の私でも的確に訳す自信はない。なぜなら荒くれ男どもの台詞が学校の教科書のようなものであるわけがないからだ。どうしてもスラングの知識が必須となる。

また船員の国籍は多岐にわたり、船内でも様々な言語が飛び交っているはずである。ヒーローと援助者である老中国人とのやりとりのなかには「まずい。○○語で話していると敵に聞かれてしまうかもしれない」「じゃ××語で話そうか」といったものもあった。

それだけに仮にこの小説をきちんと翻訳するとなれば、英語・中国語はもちろん、数多くの言語の知識が必要となる。無知だった私は完全に不可能なことを試みようとしていたのだ。僅かに最初の船内の場面と、直後に援助者がヒーローに「あんなイカサマ賭博に加わらなくて君は賢明だったよ」と語りかける場面を和英辞典を頼りに訳してみたものの、今思い出してもこの上なく稚拙で不自然極まりなく、とても翻訳と呼べる代物ではない。誰かに見せなかったのはせめてもの幸いだった。

コンクールの課題となる文学作品の内容は、もとよりこのような通俗小説とはレベルを異にしている。難しい箇所への適切な訳語を求めて呻吟しながら、ひょっとして高校時代と同様に、独りよがりな文章を書いているのではと不安を覚えることも珍しくない。いくら私などが頑張ってみてもネイティブの眼には不自然に映るだろう。それでもなお私は今年もコンクールに挑戦する。たとえ「いつかは……」との夢が死ぬまで叶わなくてもよい。コンクールに向けての努力そのものが私のライフワークなのである。